食品用ラップ3
2025.03.12
2の続き…
メーカーの試験方法ではn-へプタンを使い、25度で30分。高温や長時間での検出結果はありません。
ポリエチレン製ラップは、可そ剤や粘着付着剤などを添加していないものが多いですし、食品に成分が溶出しにくいとされています。しかし、油分の多いもの、熱いものへのラップの使用は避けた方がいいでしょう。また、アルコールや酢を使った食品、酸味や塩分が強い食品も、長時間の接触は避けた方がよいでしょう。
最近、形状を変形できる蓋みたいなものが海外で売れており、サランラップの替わりとして注目を集めるだろう。使い捨てではなく、何回も使うことができ、デザインが豊富でオシャレ。いいですね。頑張ってほしいものです。
おわり
メーカーの試験方法ではn-へプタンを使い、25度で30分。高温や長時間での検出結果はありません。
ポリエチレン製ラップは、可そ剤や粘着付着剤などを添加していないものが多いですし、食品に成分が溶出しにくいとされています。しかし、油分の多いもの、熱いものへのラップの使用は避けた方がいいでしょう。また、アルコールや酢を使った食品、酸味や塩分が強い食品も、長時間の接触は避けた方がよいでしょう。
最近、形状を変形できる蓋みたいなものが海外で売れており、サランラップの替わりとして注目を集めるだろう。使い捨てではなく、何回も使うことができ、デザインが豊富でオシャレ。いいですね。頑張ってほしいものです。
おわり
食品用ラップ2
2025.03.11
1の続き…
プラスチックの安全性に詳しい日本大学前教授の片瀬隆雄氏の実験で業務用塩ビ系ラップの小片(9㎝四方)を油に似た溶剤(n-へプタン)に入れて、80度で90分、電子レンジで5分、常温の3条件でテストしたところ、成分の平均溶出量は7000ppmとかなり高い値が出ました。溶出した成分の中には、女性ホルモン様作用が疑われるアジピン酸エステル(可塑剤)が、かなり含まれていたということ。現在は、他の可そ剤を使用している製品が多くなっています。しかし、完全に安全とは言えるのでしょうか。片瀬氏によるとラップの原料素材量の約20質量%を占める可そ剤は、油分に一番溶出しやすく(1割移行)、ついでアルコールとなっています。
3へ続く…
最近、雨が多い。気になるがそういう時もあるだろう。雨の日でも気分が晴れるようなスカッとした気持ちで日常を過ごしたいものだ(笑)。
プラスチックの安全性に詳しい日本大学前教授の片瀬隆雄氏の実験で業務用塩ビ系ラップの小片(9㎝四方)を油に似た溶剤(n-へプタン)に入れて、80度で90分、電子レンジで5分、常温の3条件でテストしたところ、成分の平均溶出量は7000ppmとかなり高い値が出ました。溶出した成分の中には、女性ホルモン様作用が疑われるアジピン酸エステル(可塑剤)が、かなり含まれていたということ。現在は、他の可そ剤を使用している製品が多くなっています。しかし、完全に安全とは言えるのでしょうか。片瀬氏によるとラップの原料素材量の約20質量%を占める可そ剤は、油分に一番溶出しやすく(1割移行)、ついでアルコールとなっています。
3へ続く…
最近、雨が多い。気になるがそういう時もあるだろう。雨の日でも気分が晴れるようなスカッとした気持ちで日常を過ごしたいものだ(笑)。
食品用ラップ1
2025.03.10
食品包装用ラップフィルムは、主に塩ビ系とポリエチレン系の2種類あります。業務用、家庭用ともに塩ビ系が主流。塩ビ系はぴったり付いてポリエチレン系よりも使い勝手がいいですね。安いこともいい理由だと思います。問題は、油分が多い食品にラップをして、電子レンジで加熱する場合です。油はすぐに100度以上の高温になるので、ラップが油に接触しているとラップの成分が溶け出して食品に付着しやすくなります。深めの耐熱容器に入れ、ラップが食品に触れないように注意する必要。
2へ続く…
昨日、高校の同級生と飲んだ。老眼になり始めている話(笑)。子供の話。今の話。昔の話。歳もとったので、お開きも早い。やっぱり歳をとったなあ(笑)。しかし、共通することは、お互いを思いやり、自分の好きなことをなるべく楽しくやること。皆、趣味や好きなことは全く違うが話は弾む。最後は眠くなり、散会。いつまでも続いてほしいなあ(笑)。
2へ続く…
昨日、高校の同級生と飲んだ。老眼になり始めている話(笑)。子供の話。今の話。昔の話。歳もとったので、お開きも早い。やっぱり歳をとったなあ(笑)。しかし、共通することは、お互いを思いやり、自分の好きなことをなるべく楽しくやること。皆、趣味や好きなことは全く違うが話は弾む。最後は眠くなり、散会。いつまでも続いてほしいなあ(笑)。
長い尻尾の話4
2025.03.06
3からの続き…
それは加害と被害のどちらの側にとっても喪失であって、そこにユーモアの入る余地はない。それともただ韻をふみたいだけのことなのだろうか。そんなことを昨年、イスラエル国防相の「人間-動物 (human-animal)」という発言を聞いて以来、悶々と考えていた。そしてぼくが悶々としている時に、ガザで一人の詩人が殺されていたことを、現代詩手帳を読んで知った。リフアト・アルアライール、彼が残した詩『わたしが死ななければならないのなら』には、tailとtaleという同じ修辞が使われていた。少年と白い凧の物語として。その冒頭と末尾―わたしが死ななければならないのならあなたは、生きなくてはならない/…/もし、わたしが死ななければならないのなら、希望となれ尾の長い物語となれ―。 訳者の松下新土さんの言葉、「人間がなしうるもっとも根源的な暴力のひとつは、脈々と語りつがれてきた、豊かな物語の川を、力によって奪い、まっすぐにしてしまうことではなかったか」。この人間による、人間に対する暴力と、動物に対する暴力の相似的な関係を突きつけられて、少なからずぼくは困惑している。(パレスチナの事と畜産の事を並べて書いたことに不快な思いをされた方がいたらすみません)
長い尻尾の話し(end)
豚肉生産者Gさん
人は歴史を繰り返す。平安時代や江戸時代も人は今と同じ考え方をしていたと思う。しかし、現代は大幅なデータがあり、人々が知ろうとすれば知ることができる。それをどのように使うかは人それぞれだが(笑)。
とにかく楽しく過ごしましょう!
それは加害と被害のどちらの側にとっても喪失であって、そこにユーモアの入る余地はない。それともただ韻をふみたいだけのことなのだろうか。そんなことを昨年、イスラエル国防相の「人間-動物 (human-animal)」という発言を聞いて以来、悶々と考えていた。そしてぼくが悶々としている時に、ガザで一人の詩人が殺されていたことを、現代詩手帳を読んで知った。リフアト・アルアライール、彼が残した詩『わたしが死ななければならないのなら』には、tailとtaleという同じ修辞が使われていた。少年と白い凧の物語として。その冒頭と末尾―わたしが死ななければならないのならあなたは、生きなくてはならない/…/もし、わたしが死ななければならないのなら、希望となれ尾の長い物語となれ―。 訳者の松下新土さんの言葉、「人間がなしうるもっとも根源的な暴力のひとつは、脈々と語りつがれてきた、豊かな物語の川を、力によって奪い、まっすぐにしてしまうことではなかったか」。この人間による、人間に対する暴力と、動物に対する暴力の相似的な関係を突きつけられて、少なからずぼくは困惑している。(パレスチナの事と畜産の事を並べて書いたことに不快な思いをされた方がいたらすみません)
長い尻尾の話し(end)
豚肉生産者Gさん
人は歴史を繰り返す。平安時代や江戸時代も人は今と同じ考え方をしていたと思う。しかし、現代は大幅なデータがあり、人々が知ろうとすれば知ることができる。それをどのように使うかは人それぞれだが(笑)。
とにかく楽しく過ごしましょう!
長い尻尾の話3
2025.03.05
2からの続き…
そうかといって、尻尾は生存のためになくてはならないものかというと、あやしいところがあって、実際トカゲは生き延びるために自ら尻尾を切ったりする。あの妖艶な青に秘められているのは、生き延びるために犠牲になるものの美しさだと思う。話を豚に戻すと、多くの豚たちは家畜として生き延びるために、というか生き延びさせられるために、人間に尻尾を切られてしまうのだけど、そこで犠牲になるものとはいったいなんだろうか。抽象的に一言でいうならそれはコトバだと思う。豚にも言い分があり、それは豚たちの多様な関係性の上に成り立つコトバで、声と言ってもいいかもしれない。「鳴き声以外はすべて食べられる」といわれるところの声。人間にとっては価値のないもの。しかし人間の言い分を強いられることによって、豚は家畜という他に取りかえのきく均質な存在とされ、他者との関係性を歪められてしまう。固有であることと多様であることは一体で、それを育み、ことばによって伝えていくことが物語だとすると、尻尾 (tail) を失うことは物語(tale) を失うことなのだと思う。
4へ続く
私たちの日常の食べ物は、どのように作られているかほとんどの人は把握していない。私もそうだ。昔、付き合いがあった長野県の畜産農家のAさんは、牛に名前をつけていた。Aさんの子供たちも牛を可愛がっていた。初めて牛を出荷するとき、涙が止まらなかったらしい。しばらく牛肉を食べることができなかっただろう。私も経験があるが、この仕事をして畜産現場を見て帰ると肉を食べれなくなった時期があった。別に皆が皆、経験しろとは言わない。そういうこともあるんだくらいに思ってほしい。どちらにしろ今度生まれ変わったら、畜産動物にはなるべくなりたくない(笑)。
そうかといって、尻尾は生存のためになくてはならないものかというと、あやしいところがあって、実際トカゲは生き延びるために自ら尻尾を切ったりする。あの妖艶な青に秘められているのは、生き延びるために犠牲になるものの美しさだと思う。話を豚に戻すと、多くの豚たちは家畜として生き延びるために、というか生き延びさせられるために、人間に尻尾を切られてしまうのだけど、そこで犠牲になるものとはいったいなんだろうか。抽象的に一言でいうならそれはコトバだと思う。豚にも言い分があり、それは豚たちの多様な関係性の上に成り立つコトバで、声と言ってもいいかもしれない。「鳴き声以外はすべて食べられる」といわれるところの声。人間にとっては価値のないもの。しかし人間の言い分を強いられることによって、豚は家畜という他に取りかえのきく均質な存在とされ、他者との関係性を歪められてしまう。固有であることと多様であることは一体で、それを育み、ことばによって伝えていくことが物語だとすると、尻尾 (tail) を失うことは物語(tale) を失うことなのだと思う。
4へ続く
私たちの日常の食べ物は、どのように作られているかほとんどの人は把握していない。私もそうだ。昔、付き合いがあった長野県の畜産農家のAさんは、牛に名前をつけていた。Aさんの子供たちも牛を可愛がっていた。初めて牛を出荷するとき、涙が止まらなかったらしい。しばらく牛肉を食べることができなかっただろう。私も経験があるが、この仕事をして畜産現場を見て帰ると肉を食べれなくなった時期があった。別に皆が皆、経験しろとは言わない。そういうこともあるんだくらいに思ってほしい。どちらにしろ今度生まれ変わったら、畜産動物にはなるべくなりたくない(笑)。