apple 3
2025.02.05
2からの続き…

私は葉を取らないこととしました。青森のりんご作りの先人達が残した「りんご剪定葉隠れ論語」をもう一度読み返しています。そして少しだけ、師匠のⓝさんが言いたかった事、りんご作りの道しるべが見えてきた気がします。「りんごの木はりんご木なり」「主枝は仁王のごとく、成枝は姫のごとく」「成枝はこぶつきをもらえ」「成り上がりの枝はころびやすい」「大胆小胆とも不可なり」「色の付きすぎた年は成枝を切れ」「満月から半月へ、半月から満月へ」「剪定は波紋状に影響する」「剪定は切らぬことと見つけたり」 私がりんごの木を植えて52年、一本一本に立ち向かいながら呪文を唱える。寒く冷たい日々です。だけど、楽しい日々です。りんごの実は絶妙なバランスで色が付き熟してくる。それを見極めるのは作り手側の仕事である。ある庭師が、師匠から「枝はいいから、心を磨け」と常に言われ続けたと言う。私もこの年になってわかる気がします。りんごも大根も白菜も人が作る。作り手の感性がすべてに表れる。りんごも野菜もキノコも、もう少し作り続けるつもりです。野菜はいろいろ作ったけれど、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーは失敗しました。ナメコだめでした。しかし、あの有名な作詞家 阿久悠が「私が作詞して世に出なかった歌の数は誰にも負けない」という言葉に、“作り続けなければ何も生まれない”と言い聞かせています。もう年だから、昔を思い出し悠々と暮らすなどとは出来そうもありません。日々イライラしながら、もの作りを楽しむつもりです。でもいつか里山の切り株にすわって、亡くなった渡部有喜、笹原功、吉田和弘を思いながら“風にふかれて”を夢みることはあります。
2025.1.19

笹野さんのことは、私は覚えていないですが、有喜さん、吉田さんとは交流があった。人はいつかは死ぬ。しかし。皆、死ぬことを考えず、生きている。私もそうだ。Ⓚさんは、たぶん死んでいった仲間たちに自分の意気様をずっと見せていくつもりだろう。その先には、花が溢れ、彼の偉大さがわかるときが来るかも。まあ今年のりんごも「おいしい!」と連絡がたくさん来た。その数にはビックリしたが、ありがたい話だ。
apple 2
2025.02.04
1からの続き…

私のりんご出荷用のアドレスには、もう思い出せない名前の住所がいっぱいあります。我家を支えてくれた人々、私の唯一の財産で宝です。やり続けたかった米作りも稲刈りの最中に鼻血が止まらず、かかりつけの医者からこのままでは体がもたない。仕事を減らすしかない。」と言われ、米作りを諦めました。りんごと野菜でもう少し頑張ることとします。師匠であるⓝさんが年の暮れに「りんごの面積を半分にする。新しくチェーンソーを買う」と言ってきた。彼も80歳を超えた。「何故?」と聞き直すと、「途中で倒れたら園地の周りの人々に迷惑をかける。その前にりんごの樹を切り、整理しておくのだ。」と言う。誰よりもりんごの樹を大事にしてきたかわかっている。切る時は無念だろうと思う。彼の背を見て進んできた私も77歳、もういくつ寝ると80歳だ。あと何回りんごを作れるか分からない。でも私のりんごを食べ、買い支えてくれる人々はもう80歳を超えている。みんな年金生活者です。そんな人々、「今年もⓀさんのりんごをお歳暮として知人に送り、生きていられるのは幸せです。」とりんごを注文してくれる。大事にしたい。これから先のこと、確かなことはわからない。でも 一年一年を刻みながら、りんご作りを続けます。「葉取らずりんご」農産物は何でもつくる農民よりも何も作れない外野の人の声が大きい。そして物を言う。少し色むらがあってもりんごがうまければいいのです。葉を取って色が良ければりんごがうまいとは限らないのです。元々、語る人はものは作らないし、作れないのです。ものづくりは作っても作っても思うようにならないから黙りこくってしまう。黙して語らずなのです。作らない人ほど多くを語るのです。

3への続く…

昨年の年末まで、学生かなと思うほどの忙しさ。飲み会をすべて断っていたら、新年から毎週、飲み会(笑)。まあ、ふだんあまり話さない人との交流もいいもんだ。その話は置いておき、Ⓚさんは、いつも物事の本質をついてくる。私は、どちらかというとよく話す方だが、語りはしない。正解などないのだと思う。ただ、私はⓀさんと話すのがとても楽しい。そして、生きている限りリンゴ作りをしてほしいと思うし、長生きしてほしい。ただそれだけだ。
apple 1
2025.02.03
 今回は、私の大好きなリンゴ生産者の文です。複数回に分けて掲載します。どうぞ…。
温暖化、温暖化と言われ続けてきたものの、 あまり気にせずりんご栽培を続けてきた。しかし、今振り返ると春先の霜の害や黒星病、10月11月になっても暑さが続き、雨が降り、そのため、すす班病、褐斑病が多発した。冬はしっかり雪が降り、温度も下がり春が来るのは遅い方が良い。また、10月になれば温度が下がり、雨が少ない方が良い。しかし、今日は逆にな り、冬は温度が上がり春が早く、りんごの芽が動き出すため霜に遭う。秋は温度が下がらず多雨となり、病気が多発する。寒い所で生まれたりんごとしては、温暖化は大敵なのだと思い知らされました。そんな条件の中でも我家のりんごは大豊作であった。何故なのかわからないが、周りの人からも「おまえのりんご、いいね!」と褒められる。今までない事なので本人もびっくりしている。師匠であるⓝさんにも「腕を上げたな!」と褒められ内心喜んでいたのだが、収穫してみると不揃いのりんごも多くあり、まだ胸を張れるものではないのも実感です。
 今年(2024年)の果物は、柿、みかんはカメムシの害、長野のりんごもカメムシの害があり、福島のりんごは温暖化のため夜温が下がらず、りんごが赤くならず半作と聞いた。青森も不作で3割減とのこと。そんな中、私の周りでもりんご作りをやめるという人が出始めている。りんごを作っても暮らせないからだと言う。原因はりんご作りが大変なだけではない。生産資材の値上がりと物流コストの値上がりである。りんごを作って売っても、経費を引くと手元に残らないのである。対策として私は、肥料はボカシを自分で作り、段ボールは直接段ボール工場に依頼し購入したり、出荷資材は安い店を探したりしている。また、送料を下げるため40年の付き合いのある運送会社に出来るだけ価格を安くしていただいている。しかし、それもいつまで続くか分からない。不安ばかりです。また、近所のスーパーでもりんご1ヶ200円する。柿、ぶどうも高い。くだものは買わないと人は言う。生活者の暮らしとして他に出費しなければならないものがあるのも事実です。だから、りんごを値上げするのは勇気がいる。今まで食べ続け支えて頂いた人に「もう耐えられません」と心が離れてしまったら、もう戻っていただけない。随分長い間支えて頂いたのに。でも、りんご作りが赤字続きでは我家がもたない、その分岐点にきている。
 つづく(2)へ
 Ⓚさんが若いころ、物流が整っていないので、ⓀさんやⓀさんの仲間たちが40年前に我が家にトラックで来ていたことを思い出す。これが産直の流れだと当会では感じている。幼いころ、Ⓚさんの家に連れられて、Ⓚさんの妻からいただいた。おにぎりを今でも思い出す。あの味、あの風景。そして、今の変わらないKさんの情熱。まさにパッション。フルーツじゃないよ。好きだけど(笑)。

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