長い尻尾の話3
2025.03.05
2からの続き…
そうかといって、尻尾は生存のためになくてはならないものかというと、あやしいところがあって、実際トカゲは生き延びるために自ら尻尾を切ったりする。あの妖艶な青に秘められているのは、生き延びるために犠牲になるものの美しさだと思う。話を豚に戻すと、多くの豚たちは家畜として生き延びるために、というか生き延びさせられるために、人間に尻尾を切られてしまうのだけど、そこで犠牲になるものとはいったいなんだろうか。抽象的に一言でいうならそれはコトバだと思う。豚にも言い分があり、それは豚たちの多様な関係性の上に成り立つコトバで、声と言ってもいいかもしれない。「鳴き声以外はすべて食べられる」といわれるところの声。人間にとっては価値のないもの。しかし人間の言い分を強いられることによって、豚は家畜という他に取りかえのきく均質な存在とされ、他者との関係性を歪められてしまう。固有であることと多様であることは一体で、それを育み、ことばによって伝えていくことが物語だとすると、尻尾 (tail) を失うことは物語(tale) を失うことなのだと思う。
4へ続く
私たちの日常の食べ物は、どのように作られているかほとんどの人は把握していない。私もそうだ。昔、付き合いがあった長野県の畜産農家のAさんは、牛に名前をつけていた。Aさんの子供たちも牛を可愛がっていた。初めて牛を出荷するとき、涙が止まらなかったらしい。しばらく牛肉を食べることができなかっただろう。私も経験があるが、この仕事をして畜産現場を見て帰ると肉を食べれなくなった時期があった。別に皆が皆、経験しろとは言わない。そういうこともあるんだくらいに思ってほしい。どちらにしろ今度生まれ変わったら、畜産動物にはなるべくなりたくない(笑)。
そうかといって、尻尾は生存のためになくてはならないものかというと、あやしいところがあって、実際トカゲは生き延びるために自ら尻尾を切ったりする。あの妖艶な青に秘められているのは、生き延びるために犠牲になるものの美しさだと思う。話を豚に戻すと、多くの豚たちは家畜として生き延びるために、というか生き延びさせられるために、人間に尻尾を切られてしまうのだけど、そこで犠牲になるものとはいったいなんだろうか。抽象的に一言でいうならそれはコトバだと思う。豚にも言い分があり、それは豚たちの多様な関係性の上に成り立つコトバで、声と言ってもいいかもしれない。「鳴き声以外はすべて食べられる」といわれるところの声。人間にとっては価値のないもの。しかし人間の言い分を強いられることによって、豚は家畜という他に取りかえのきく均質な存在とされ、他者との関係性を歪められてしまう。固有であることと多様であることは一体で、それを育み、ことばによって伝えていくことが物語だとすると、尻尾 (tail) を失うことは物語(tale) を失うことなのだと思う。
4へ続く
私たちの日常の食べ物は、どのように作られているかほとんどの人は把握していない。私もそうだ。昔、付き合いがあった長野県の畜産農家のAさんは、牛に名前をつけていた。Aさんの子供たちも牛を可愛がっていた。初めて牛を出荷するとき、涙が止まらなかったらしい。しばらく牛肉を食べることができなかっただろう。私も経験があるが、この仕事をして畜産現場を見て帰ると肉を食べれなくなった時期があった。別に皆が皆、経験しろとは言わない。そういうこともあるんだくらいに思ってほしい。どちらにしろ今度生まれ変わったら、畜産動物にはなるべくなりたくない(笑)。