長い尻尾の話4
2025.03.06
3からの続き…
それは加害と被害のどちらの側にとっても喪失であって、そこにユーモアの入る余地はない。それともただ韻をふみたいだけのことなのだろうか。そんなことを昨年、イスラエル国防相の「人間-動物 (human-animal)」という発言を聞いて以来、悶々と考えていた。そしてぼくが悶々としている時に、ガザで一人の詩人が殺されていたことを、現代詩手帳を読んで知った。リフアト・アルアライール、彼が残した詩『わたしが死ななければならないのなら』には、tailとtaleという同じ修辞が使われていた。少年と白い凧の物語として。その冒頭と末尾―わたしが死ななければならないのならあなたは、生きなくてはならない/…/もし、わたしが死ななければならないのなら、希望となれ尾の長い物語となれ―。 訳者の松下新土さんの言葉、「人間がなしうるもっとも根源的な暴力のひとつは、脈々と語りつがれてきた、豊かな物語の川を、力によって奪い、まっすぐにしてしまうことではなかったか」。この人間による、人間に対する暴力と、動物に対する暴力の相似的な関係を突きつけられて、少なからずぼくは困惑している。(パレスチナの事と畜産の事を並べて書いたことに不快な思いをされた方がいたらすみません)
長い尻尾の話し(end)
豚肉生産者Gさん
人は歴史を繰り返す。平安時代や江戸時代も人は今と同じ考え方をしていたと思う。しかし、現代は大幅なデータがあり、人々が知ろうとすれば知ることができる。それをどのように使うかは人それぞれだが(笑)。
とにかく楽しく過ごしましょう!
それは加害と被害のどちらの側にとっても喪失であって、そこにユーモアの入る余地はない。それともただ韻をふみたいだけのことなのだろうか。そんなことを昨年、イスラエル国防相の「人間-動物 (human-animal)」という発言を聞いて以来、悶々と考えていた。そしてぼくが悶々としている時に、ガザで一人の詩人が殺されていたことを、現代詩手帳を読んで知った。リフアト・アルアライール、彼が残した詩『わたしが死ななければならないのなら』には、tailとtaleという同じ修辞が使われていた。少年と白い凧の物語として。その冒頭と末尾―わたしが死ななければならないのならあなたは、生きなくてはならない/…/もし、わたしが死ななければならないのなら、希望となれ尾の長い物語となれ―。 訳者の松下新土さんの言葉、「人間がなしうるもっとも根源的な暴力のひとつは、脈々と語りつがれてきた、豊かな物語の川を、力によって奪い、まっすぐにしてしまうことではなかったか」。この人間による、人間に対する暴力と、動物に対する暴力の相似的な関係を突きつけられて、少なからずぼくは困惑している。(パレスチナの事と畜産の事を並べて書いたことに不快な思いをされた方がいたらすみません)
長い尻尾の話し(end)
豚肉生産者Gさん
人は歴史を繰り返す。平安時代や江戸時代も人は今と同じ考え方をしていたと思う。しかし、現代は大幅なデータがあり、人々が知ろうとすれば知ることができる。それをどのように使うかは人それぞれだが(笑)。
とにかく楽しく過ごしましょう!